『屋根裏獣』は、女性シンガーソングライターとして活躍している吉澤嘉代子さんの3rdアルバムだ。
私は『屋根裏獣』がリリースされてから数え切れないほど聞いた。
素晴らしい音楽に加えて、私が特に好きなのが、吉澤嘉代子さんの詞。
『屋根裏獣』には、吉澤嘉代子さんが紡ぐ「物語」がぎゅぎゅっと詰め込まれている。
この記事では、吉澤嘉代子さんの3rdアルバム『屋根裏獣』のレビューをしていく。
01.ユートピア
アルバムの幕開けとなる『ユートピア』
陰鬱としたイントロがパッと開けると、ベースと小気味の良いストリングスが遊ぶように絡み合う。
ドラムの8ビートが曲をひっぱり、ギターサウンドが吉澤嘉代子の世界に連れ込んでいく。
そして、吉澤嘉代子の歌声が『ユートピア』への招待状となる。
『ユートピア』のベースとサウンドプロデュースは、ハマ・オカモト。
ベースの存在感を出しつつも、曲を殺さない演奏は楽曲に合っていて、聞く者を吉澤嘉代子の世界に引き込む手助けをしている。
『ユートピア』とは、理想郷だ。
歌詞のなかで、1番は市民プール。2番では海。最後には現実がやってくる。
「理想郷」を思い描くも、待っているのは現実。
しかし、何度でも生まれ変わることができるのだ。
吉澤嘉代子の歌詞表現で、以下の部分がある。
オロロンオロロンと泣く もう帰りたくないの
吉澤嘉代子『ユートピア』より引用
泣いている様子を表現する擬音として、「オロロン」を使っている。
この擬音の使い方が、吉澤嘉代子らしい世界観を作るのに一役買っていて、素晴らしい。
02.人魚
悲哀を含んだストリングスから始まる『人魚』
歌とギター、ストリングスのみでシンプルに「歌」を聞かせる。
人目から隠れて生きていた人魚が、彼と出会った。溺れる彼を救うが、最後は「わたし」が飲み込んでしまう。
荒れ狂う波を掻きわけて 肌にさわったとき
吉澤嘉代子『人魚』より引用
冷たい血がざわめいた さようならさようなら
これは1番の歌詞だが、このときの「わたし」は、すでに彼との別れを感じている。
この時間を「わたし」が終わらせてしまうと知っているのだ。
03. カフェテリア
『人魚』に続く『カフェテリア』は、歌とギターだけで、恋心を聞かせてくれる。
日記を読むように「ほわっ」とした吉澤嘉代子の歌から、「わたし」のほのかな心情が伝わる。
『カフェテリア』での吉澤嘉代子の歌声を聞くと、歌声に幅があるのも彼女の魅力なのだと再認識した。
カフェテリアの店員である「わたし」は、貴方に恋心を抱いている。
いつも1人で来ていた貴方が、ある日女性を連れてきた。
それを見た「わたし」は、今までの日常が薄れていく。
首筋に降りそそぐ光の中は
吉澤嘉代子『カフェテリア』より引用
名前も無いような私だけの時間
この詞の美しさに、私は胸を打たれた。他人には分からないが、自分だけが密かに大切にしているもの。
それを言葉にされていて、すごくときめいた。
04. ねえ中学生
賑やかなリコーダーが聞こえる音楽室の音の後に始まる『ねえ中学生』
※YouTubeの吉澤嘉代子公式アカウントで公開されている「ねえ中学生」は『吉澤嘉代子とうつくしい人たち』に収録されている物で、音楽室の音は入っていない。
私立恵比寿中学とのコラボレーションでも話題になった『ねえ中学生』だが、コラボレーションといえども吉澤嘉代子らしさは全開だ。
軽やかな演奏と、ワクワクした吉澤嘉代子の歌声に、私立恵比寿中学のコーラスが儚さをプラスされて、中学生として楽しむ《わたし》の姿を見せてくれる。
『ねえ中学生』に出てくる《わたし》は、かなりかわいい。
小説の大好きなフレーズに
吉澤嘉代子『ねえ中学生』より引用
しおり挟んで貸し出したこと気づいているかな
こんな女子と出会えたら、さぞ幸せだっただろうな……。
紹介した詞以外にも『ねえ中学生』の詞は、全編に渡ってかわいさにあふれている。
大人になってから中学生としての妄想を楽しむのは最高だ。
05. 屋根裏
懐かしい曲調と、ピアノが印象的な『屋根裏獣』
少女から大人になる微妙な時期を振り返るような吉澤嘉代子の強くて色っぽい歌にグッと引き込まれる。
『屋根裏獣』は、「私」の家の屋根裏に住む居候への想いを綴った曲。
どこかへ行っては戻ってくる居候に恋していた少女は、徐々に大人になっていく。
少女の頃は無意識にやっていたことが、大人になりつつある今はプライドが邪魔をして出来ない。
やさやさ優しくないのね
吉澤嘉代子『屋根裏』より引用
お嫁にいっても知らないからね
ツンとしているけど、恋心は失っていない。でも、いつの日かこの恋も思い出になるのだろう。
少女から大人になるときに揺さぶられる心情の書き方がいい。
06. えらばれし子供たちの密話
電話のベルとひそひそ話から物語が始まる『えらばれし子供たちの密話』
ゆったりとした曲調から聞こえる歌詞は、事件の気配を感じさせる。
奥から聞こえるカウベルが、なぜか楽しそうだ。
無邪気さと残酷さを持つ吉澤嘉代子の歌声が、心をくすぐってくる。
蘇るパレット 校庭のパレード 風のないのにはためく頁
吉澤嘉代子『えらばれし子供たちの密話』より引用
教科書のすみに散らばった言葉 校舎に隠された暗号
ちぐはぐな羅列が意味を持ちはじめた
見つけた
ある計画のスタート。居場所がない子ども、事件に喰いつく世間。
事件には裏があるものだ。
ゆるやかな曲調と物騒だけど素直に飲み込めない事件を綴った『えらばれし子供たちの密話』
そのチグハグさが、私のお気に入りだ。
07. 地獄タクシー
吉澤嘉代子の真骨頂である「物語」が存分に詰め込まれた『地獄タクシー』
古めかしさをホーン・セクションが彩り、怪しげな曲調が詞の世界観とマッチ。
ウッドベースの柔らかい音色が、怪しさに一役買っている。
『地獄タクシー』からは、江戸川乱歩のような言葉選びを感じた。
愛する夫の首を鞄に詰め込みタクシーに乗る女。
穏やかな昼下がり、私はタクシーに乗って空港へと向かっておりました。
吉澤嘉代子「地獄タクシー」より引用
レースの手袋に滲んだ赤黒い染みを隠して、重い鞄を抱きしめた。
ここから始まる物語は、おどろおどろしいのだけれども、次はどうなるのかとワクワクしてしまう。
詞のなかで、続きが気になるような物語を見せ、曲にのせる。
吉澤嘉代子ここにありというべき、名曲だ。
ちなみに、『地獄タクシー』の2番では、夫側からの物語が展開される。
それもまた、不思議で楽しい。
08.麻婆
ここまでのシリアスな物語を、さらっとかわす『麻婆』
ベースとドラムのねっとりとしたリズムが、やみつきになる。
曲調はあっけらかんとしているものの、魔性の麻婆は、人を殺してしまうほどの凶悪さを持っている。
あばたの婆がよそった麻婆 毒味の輩はとうに逝ったよ
吉澤嘉代子『麻婆』より引用
唐辛子が咲く三途の釜は 鼻も利かない死の香り
とんでもない麻婆だ。
この麻婆は、その噂を聞きつけた王様が食べたいと熱望するのだが「毒味の輩はとうに逝ったよ」の時点で、諦めろよと思ってしまう。
『麻婆』も事件と言えるのだが、曲調のコミカルさと、ちょっとおバカな物語が面白い。
09. ぶらんこ乗り
『麻婆』のコミカルさとは打って変わって、ゆっくり時間が流れるおもちゃ箱のような雰囲気の『ぶらんこ乗り』
おもちゃ箱のように感じするのはバンドの構成が変わっているからだろう。
大太鼓のドーンというリズムがゆるやかで身を委ねたくなる。
ちぎれそうになる手を握りなおす間に 振り子は遠ざかって消えた
吉澤嘉代子『ぶらんこ乗り』より引用
名前を忘れたって形を変えて ふたたび出逢うのでしょう
今は しばしのさらば
吉澤嘉代子の詞は確かに素晴らしい。私は彼女の詞が大好きだ。
『ぶらんこ乗り』は、吉澤嘉代子が歌手なのだと思い知らされる曲だ。
「ちぎれそうになる手を握りなおす間に 振り子は遠ざかって消えた」の部分では、その別れを悲しむ。
「名前を忘れたって形を変えて ふたたび出逢うのでしょう」の部分では、また出会えると強く訴える。
「今は」の部分では、少し寂しく。
「しばしのさらば」次の出会いへの希望を見せる。
詞だけでは伝わりきれないメッセージを吉澤嘉代子は歌で伝える。
歌声から伝わる感情が一番強いのが『ぶらんこ乗り』なのだ。
10. 一角獣
物語のエンドロールである『一角獣』
曲が始まる前の吉澤嘉代子のブレスが私をハッとさせる。
壮大なストリングスに重なる吉澤嘉代子の儚げな歌声が、この物語の終わりを感じさせた。
読みかけの本があるうちは守られている気がしていた
吉澤嘉代子『一角獣』より引用
知らない国の主人公 何度も姿を変えてゆく
この詞は、私のなかで凄く共感する部分がある。
子どもの頃に読んでいた本があって、こういう子どもっぽい本を読んでいるうちは、まだまだ子どものままなんだろうと思っていた。
徐々に大人になるにつれて、読む本が変わったことに私は気がつかないまま過ごしていた。
あの時の気持ちは、思い返すと私も「読みかけの本があるうちは守られている気がしていた」のだと思う。
そんな時代を経て『一角獣』の「わたし」はお別れをするのだ。
『屋根裏獣』総評
『屋根裏獣』を1人で聞いていると涙がでる。
「ユートピア」「人魚」で物語に引き込まれて、「カフェテリア」「ねえ中学生」「屋根裏」を女の子気分で楽しむ。
「えらばれし子供たちの密話」「地獄タクシー」では、事件に夢中になり、「麻婆」でちょっと笑う。
「ぶらんこ乗り」では、別れを意識して、「一角獣」でお別れをする。
いろんな物語が入った作品集『屋根裏獣』は、「一角獣」が終われば、幕が下りる。
さっと、私はこの物語とのお別れが辛いのだろう。
現時点で吉澤嘉代子の最高傑作は『屋根裏獣』だと思う。
音楽に物語を感じたいなら『屋根裏獣』は、その期待にこたえてくれる作品だ。
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